『解像度を上げる』- 曖昧な思考を明晰にする「深さ・広さ・構造・時間」の4視点と行動法
本書『解像度を上げる』は、ビジネスにおける「思考の明晰さ」や「理解の精細さ」を「解像度」という言葉で定義し、その解像度を高めるための具体的な方法論を提示する一冊です。
著者の馬田隆明氏は、優れた起業家たちが持つ共通点として「解像度の高さ」を挙げ、彼らが物事をどのように見ているかを「深さ・広さ・構造・時間」という4つの視点から分析します。本書は、単なる思考法に留まらず、解像度を上げるためには「情報・思考・行動」のサイクル、特に「行動」が不可欠であると説きます。
ビジネスで価値を生む源泉である「課題」と「解決策」の解像度をいかにして高めるか、そのためのインタビュー、サーベイ、観察、プロトタイピングといった48の具体的な「型」が、豊富な事例とともに紹介されています。日々の業務で「何か大事なことが抜けている気がする」「議論がふわふわしている」と感じるすべてのビジネスパーソンにとって、思考の霧を晴らし、明確な一歩を踏み出すための実践的なガイドブックです。
本書の要点
- ビジネスにおける「解像度」とは、物事への理解度や思考の明晰さ、表現の精細さを指す。
- 解像度を上げるためには、「深さ(具体化)」「広さ(多面性)」「構造(関係性の把握)」「時間(変化の認識)」の4つの視点が不可欠である。
- 解像度を高めるプロセスは「情報」「思考」「行動」の3要素で構成され、特に「行動」を通じて質の高い情報を得ることがサイクルを回す鍵となる。
- ビジネスの価値は「課題」と「解決策」のフィットによって決まるため、まず何よりも「課題」の解像度を上げることが最重要である。
- 解像度を上げる作業は「型」として習得可能であり、本書ではインタビュー、サーベイ、システム思考、ストーリーテリングなど48の具体的な行動法が示されている。
なぜ、あの人の話は「ふわふわ」しているのか?
「この人の話は地に足がついていなくて、ふわふわしている」
「言いたいことは分かるけれど、説得力が弱い」
「提案書を作ったが、何かが抜けている気がしてモヤモヤする」
仕事をする中で、こんな風に感じたことはないでしょうか。著者によれば、こうした思考がぼやけている状態こそが「解像度が低い」状態です。
著者は10年近く起業家支援を行う中で、優秀な起業家ほど「解像度が高い」ことを発見します。彼らは、自らが取り組む領域について聞くと、明確かつ簡潔な答えを返します。
例えば、顧客がどんな課題に週何回直面し、解決のためにどんな競合製品を、どんな工夫をしながら使っているか、その時の感情はどうか、といったことまで具体的に把握しています。彼らの話を聞いていると、一人の顧客像が目の前にありありと浮かび上がってくるかのようです。
彼らは単に事実を細かく知っているだけでなく、市場、技術、ビジネスモデルといった多面的な情報が有機的につながり、構造化されています。さらに、今打とうとしている一手(小さな歯車)が、いかにして社会全体(大きな歯車)を変えていくかに至るまでの「道筋」まで見えています。
一方で、解像度が低い起業志望者のアイデアは曖昧です。例えば「学生の進路選択に必要な情報が足りないから、AIで解決する」というアイデア。一見正しそうですが、これだけでは「どんな情報が足りないのか?」「本当に足りないのか?」「どんなAIなのか?」といった疑問が次々と湧いてきます。
ビジネスにおいて解像度が低いまま意思決定をするのは、霧のかかった中で的が見えないまま、当てずっぽうに矢を射るようなものだと著者は言います。資源が限られるビジネスにおいて、矢をむやみに撃つことはできません。だからこそ、実行の前に霧を晴らす、すなわち「解像度を上げる」ことが不可欠なのです。
思考のピントを合わせる「4つの視点」
では、どうすれば解像度を上げられるのでしょうか。著者は、優れた起業家たちの思考を分析し、そこには共通する「4つの視点」があることを見出しました。
1. 深さ(具体化・Why)
物事の原因や要因、方法を具体的に掘り下げる視点です。
例えば「売上が下がっている」という課題に対し、「営業訪問回数が少ないから増やせ」と短絡的に結論づけるのは解像度が低い状態です。
解像度を上げるには、「競合が値引きしたから受注が減った」→「なぜ競合は値引きできるのか?」→「他商品とのセット購入を見込んでいるからだ」というように、表面的な症状ではなく、根本的な病因(真の原因)を突き止めるまで深く掘り下げます。
多くのビジネスパーソンが陥りがちなのが、この「深さ」の不足です。
2. 広さ(多面性・Compare)
考慮する原因やアプローチの多様性を確保する視点です。
例えば「醤油をもっと美味しくする」という課題に対し、大豆の質や発酵方法といった「醤油そのもの」だけを深掘りするのは、視野が狭いかもしれません。
視点を広げ、「そもそも醤油を使うシーンが減ったのでは?」「開封後に酸化して味が落ちているのでは?」と別の原因に目を向けることで、「酸化しづらい醤油ボトルを開発する」という全く新しい解決策にたどり着くことができます。これはキッコーマンやヤマサ醤油が実際にヒット商品を生み出した際の着眼点です。
3. 構造(関係性・How)
「深さ」と「広さ」で見えてきた多くの要素を、意味のある形で分け、要素間の関係性や相対的な重要性を把握する視点です。
例えば、飲食店の売上データ(生の数字の羅列)を渡されても、そのままでは原因は分かりません。
「売上 = 顧客単価 × 顧客数」
「顧客数 = 新規顧客 + リピーター顧客」
といった形で要素を分解し、構造化することで、初めて「新規顧客数が激減していることが根本原因だ」といった課題の核心を突き止めることができます。
4. 時間(変化・When)
物事の経時変化や因果関係、プロセスや流れを捉える視点です。
ビジネス上の課題は「動く的(ムービングターゲット)」です。現時点で最適な打ち手も、時間が経てば状況が変わり、最適ではなくなるかもしれません。
「新規顧客向けに値下げをすれば、競合も追随して値下げしてくるだろう。だから長期契約を前提としたキャンペーンにしよう」というように、自分たちの行動が未来にどのような影響を与え、環境がどう変化するかという時間軸を考慮に入れることで、打ち手の精度が上がります。
著者は、この4つの視点は相互に影響しあうとしながらも、「多くのビジネスパーソンは、まず『深さ』が圧倒的に足りない」と強調します。迷ったら、まず「深さ」から取り組むことが、解像度を上げるサイクルの第一歩となります。
あなたの思考は大丈夫? 現在の解像度を診断する
本書では、現在の自身の解像度を診断するためのチェックリストが紹介されています。ここでいくつか抜粋してみましょう。
分からないところが、分かっているか?
「何を聞けばいいのか分からない」状態は、解像度が低い典型的な症状です。逆に特定の分野を突き詰めた専門家ほど「まだ分かっていないこと」を多く語れます。簡潔に話せるか、ユニークな洞察があるか?(構造)
冗長になったり、話が飛躍したり、人に「で、何なの?(So what?)」と聞かれたりする場合、構造化が不十分です。解像度が高いと、重要でない情報を「省く」ことができるため、明確かつ簡潔に要点を話せます。多面的に話せるか?(広さ)
「競合はいません」「全性能で勝っています」といった言葉は、調査不足や視野の狭さの表れです。本当に競合がいないなら市場がないのかもしれませんし、顧客が使っている「代替品」が必ず存在するはずです。その話はどこまで具体的か?(深さ)
「対象顧客は情報が足りない人です」といった主張に対し、「具体的に“誰が” “どんな風に”困っていたか、その人の名前を挙げて1時間話せますか?」と問われています。顧客一人の課題を固有名詞で具体的に語れるレベルが「深さ」の目安です。
また、「使いづらいから使いやすくする」「情報が足りないから情報を提供する」といった、課題をひっくり返しただけの安易な解決策も、深さが足りない症状です。道筋は見えているか?(時間)
「短期・長期の目標は何か」「そこに至る道筋は?」「最初の一歩は何か?」が明確に言えない場合、時間の解像度が低い証拠です。
解像度を上げるための「3つの基本姿勢」
解像度を4つの視点で高めていく上で、著者は「情報」「思考」「行動」の3つの組み合わせが重要だと説きます。良い食材(情報)と良い腕(思考)があっても、調理(行動)しなければ料理は完成しません。
特に多くの人が見落としがちなのが「行動」です。
① 行動なくして、解像度は上がらない
思考の材料となる情報は、本やインターネットで手に入るものだけではありません。最も希少で価値があるのは、「行動」によってのみ得られるフィードバックです。
情報や思考がまだ粗い段階でも、まず行動することで、質の高い情報と思考を獲得するサイクルが回り始めます。
その典型例が、スタートアップにおけるMVP(Minimum Viable Product:実用最小限の製品)の考え方です。
飲食店向けサービスを開発した「dinii」というスタートアップは、最初、ユーザーがアプリで予約ボタンを押すと、開発者に通知が届き、その通知を見た開発者が電話で店の予約をするという、裏側が完全手動のMVPを作りました。
これにより、複雑な予約システムを開発することなく、わずか5日目でサービスをリリースし、顧客からの学びを得るサイクルに入ることができたのです。
② 粘り強く取り組む
解像度はすぐには上がりません。著者の経験則では、起業のアイデアが形になるまでには約1000時間(副業なら1年以上)の取り組みが必要だと言います。頭の良さ以上に、粘り強さが求められます。
③ 型を意識する
手当たり次第に行動するのではなく、先人たちのベストプラクティスである「型」を意識することが近道です。「型」を知らずに自由奔放にやるのは「型破り」ではなく「型なし」です。本書で紹介される48の型を愚直に実践することが、解像度を上げる王道となります。
【実践編】まず「課題」の解像度を上げる
ビジネスの価値は、「課題」と「解決策」がどれだけうまくフィットしているか(Problem Solution Fit)で決まります。そして、課題以上の価値は生まれません。
「お昼ご飯を一緒に食べる人を探す」という課題に対し、どれほど高度なAIやロボットという解決策を開発しても、顧客が払う金額(=価値)はランチ代数百円を超えることはないでしょう。
多くの人は解決策と恋に落ちがちですが、まずは「良い課題」を選ぶことが最も重要です。本書では、そのための「課題の解像度」を上げる型、特に「深さ」の型を詳細に解説しています。
型:症状ではなく病因に注目する
ビジネスでよくある混同が、「市場の課題(症状)」と「顧客の課題(病因)」です。
「オンライン診療が普及していない(市場の課題)」から「オンライン診療アプリを作る」という発想は短絡的です。なぜ普及していないのか、その「病因」である「目の前の一人の顧客(医師や患者)が、具体的に何に困っているのか」というミクロな課題を突き止めなければ、本当に使われる解決策は作れません。
型:言語化して現状を把握する(外化)
解像度を上げる第一歩は、情報を集める(内化)ことではなく、今考えていることを「書く」「喋る」といった「外化」から始めることです。
自分の中にあるものを絞り出すことで、何が分かっていないのかが明確になり、効率的な内化(情報収集)の準備が整います。
型:インタビューをする(内化)
最もコストパフォーマンスの良い行動です。ポイントは、顧客の「意見」ではなく「事実」を聞くことです。
「何が欲しいですか?」と意見を聞いても、顧客は「もっと速い馬が欲しい」と答えるかもしれません(フォードの有名な言葉)。顧客自身も自分の課題の病因を分かっていないことが多いのです。
「最後にその問題に直面したのはいつですか?」「解決のために何を試しましたか?」といった「過去の事実」を聞き出すことで、課題の輪郭が浮かび上がります。まずは50人へのインタビューが一つの目安です。
型:現場に没入する(内化)
インタビューだけでは分からない、「顧客すら言語化できていない課題」を見つけるには、現場での「観察」が有効です。
さらに、kikitoriという農産流通SaaSのスタートアップが、自ら青果店を経営してみたように、顧客と同じ現場で働く(参与観察)ことで、課題を自分ごととして深く理解できます。
型:Why so?を繰り返して、事実から洞察を導く(外化)
トヨタ生産方式の「なぜを5回」のように、「Why so?(なぜそうなのか?)」を繰り返します。著者の経験則では、深さレベル7〜10に至らないと、重要な洞察には辿り着けません。
「なぜデジタル化されない?」→「FAXを使う人がいるから」→「なぜFAXを使い続ける?」→「新しいことを学ぶインセンティブがないから」というように、原因を個人のスキルではなく、システムや構造に求めることで、より本質的な解決策が見えてきます。
【実践編】課題を「広さ・構造・時間」で高める
深さを掘り進めると同時に、他の視点も使って課題を多角的に捉えます。
型:視座を変える(広さ)
私たちはつい目の前の仕事に集中しがちです。
意識的に「2段階上の上司の視座」や、「100年後の将来世代の視座(フューチャーデザイン)」、「競合の視座」に立ってみることで、視野が強制的に広がり、これまで見えていなかった課題に気づくことができます。
型:分ける・比べる・関係づける(構造)
構造化の基本です。「分ける」ときはMECE(漏れなくダブりなく)を意識し、「比べる」ときは抽象度を合わせます(例:「シェアリングエコノミー」と「グーグル」は抽象度が違うので比較しにくい)。
そして、要素同士の「関係性」を把握します。特に重要なのが、物事を「システム」として捉えることです。
例えば、良かれと思って導入した「壁のない開放型オフィス」が、逆に集中を妨げ、対面のコミュニケーションを70%減少させたという研究があります。これは「コミュニケーション」という複雑なシステムを単純化して捉えた結果、起きた失敗です。
型:流れを見る(時間)
物事のプロセスやステップに着目し、「流れ」を止め
ている「ボトルネック」を見つけます。『ザ・ゴール』で示された制約理論のように、全体のパフォーマンスは最も弱い部分(ボトルネック)で決まります。このボトルネックこそが、解決すべき最も重みのある課題です。
【実践編】「解決策」の解像度を上げる4視点
良い課題が見つかったら、次に「解決策」の解像度を上げていきます。良い解決策とは、「①課題を十分に(オーバースペックでなく)解決でき」「②合理的なコストで実現可能で」「③他の解決策より優れている」ものです。
型:プレスリリースを書いてみる(深さ)
アマゾンでは、製品開発の前に「発表時のプレスリリース」を書く文化があります。これは、解決策を「言語化」する強力な型です。顧客の課題、解決策、便益などを文章にすることで、何を作るべきかが明確になります。
型:手で考える(深さ)
頭で考えるだけでなく、手を動かしてプロトタイプを作ってみることで、初めて気づく課題や改善点が多くあります。デザイン思考(Thinking)ではなく、デザイン行動(Doing)が重要なのです。
型:解決する範囲を決める(構造)
全てを解決しようとすると、システムは複雑化し破綻します。
ヘアカット専門店のQBハウスは、「洗髪」というサービスをあえて「捨てる」ことで、水回り設備が不要になり、駅前などの狭い場所への出店が可能になりました。この「トレードオフ」の設計こそが、解決策の構造の核心です。
型:ストーリーを描く(構造)
人は論理だけでは動きません。優れた解決策には、受け手の感情を動かす「ストーリー」という構造が組み込まれています。製品が顧客にどのような驚きや喜び(マジックモーメント)を提供するかを設計します。
型:最適なステップを見出す(時間)
アマゾンが最初「書籍」というカテゴリに絞ってECを始めたように、大きな理想を実現するためには、最適な「最初の一歩(楔)」を見極める必要があります。「なぜ2年前でも2年後でもなく、“今”なのか?」という問いに答えることが、時間の解像度の高さを示します。
解像度を上げたら「実験」で検証する
どれだけ解像度を上げても、それは「仮説」に過ぎません。解像度が正しいかどうかは、行動、すなわち「実験」によってのみ検証できます。
型:スケールしないことをする
DoorDashの創業者が、当初自ら食事を配達したように、あえて非効率でスケールしないことを行います。これにより、顧客と直接触れ合い、仮説検証のサイクルを最速で回すことができます。
型:身銭を切ってもらう
顧客が「いいね」「欲しい」と言うだけでは検証になりません。それはお世辞かもしれません。
「では、この覚書にサインしてください(お金)」「今すぐ上司を呼んできてください(時間)」「他の顧客を紹介してください(評判)」というように、相手に「身銭を切る」行動を求めることで、課題の本気度(バーニングニーズ)を測ることができます。
まとめ:未来の解像度を上げ、自ら機会を創り出す
本書は最後に、課題設定の前提となる「理想の未来」の解像度を上げることの重要性を説きます。
課題とは、「理想と現状のギャップ」です。未来をどう描くかは、「分析」や「予測」だけでなく、私たち自身の「意思」にかかっています。
著者は、未来の解像度を上げるヒントとして、イーロン・マスクのように「人類の未来に最も影響を与えるのは何か」という「宇宙の視座」に立つことや、「7世代先の子孫」のような「将来世代の視座」に立って今を見ることを提案します。
解像度を上げることは、世界の美しさや複雑さを知ることであり、それは一度きりの作業ではありません。思考は運動に似ており、日々行動し、型を使い、粘り強く考え続けることでしか、その明晰さを保つことはできません。
本書は、そのための地図であり、コンパスであり、そして具体的なトレーニングメニュー(型)を示してくれる一冊です。思考の霧に悩むすべてのビジネスパーソンに、行動を起こす勇気を与えてくれるでしょう。







