読書のコスパは本当に悪いのか?ジョージ・オーウェル『本 vs 煙草』に学ぶ、自己投資と娯楽の費用対効果
「本は高くて手が出ない」――そんな工員たちの言葉をきっかけに、作家ジョージ・オーウェルが自身の過去15年間の書籍代と、タバコ・酒代を厳密に計算・比較したエッセイ『本 vs 煙草』。結論として導き出されたのは、読書は他の娯楽に比べて圧倒的に安上がりであるという事実でした。本記事では、オーウェルの緻密な計算プロセスを追いながら、現代のビジネスパーソンにとっても重要な「自己投資としての読書」のコストパフォーマンスと、私たちが本当に奪われている「可処分時間」について考察します。
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本書の要点
- 「本は高い」は思い込み:オーウェルの計算によれば、年間の図書費はタバコと酒の合計費用の半分程度に過ぎない。
- 時間あたりのコスパ:1冊の本を読むのにかかる時間と価格を割ると、映画や他の娯楽よりも安価なエンターテインメントになる。
- 真のハードルは「刺激」:人々が本を読まない本当の理由は価格ではなく、ドッグレースや飲み歩き(現代で言えばスマホや動画)ほど刺激的ではないから。
- 現代への示唆:現代人は金銭よりも「可処分時間」を奪い合う産業の中に生きており、意識的に本と向き合う姿勢が問われている。
「本は贅沢品」という永遠の言い訳
ビジネスの現場や日常生活において、「もっと本を読んだほうがいい」と分かっていても、つい「本は高いから」「忙しいから」と遠ざけてしまうことはないでしょうか。
実はこの感覚、今に始まったことではありません。『1984年』や『動物農場』で知られるイギリスの作家、ジョージ・オーウェルが1946年に発表したエッセイ『本 vs 煙草』は、まさにこのテーマに正面から切り込んだ作品です。
ある日、オーウェルの友人が工場労働者たちと話していたときのこと。彼らは新聞記事には興味を示しましたが、文芸欄の話になるとこう言いました。
「いやいや、ダンナ、そんなもの読むわけがないでしょうが。12シリング6ペンスもする本の話ばっかりじゃないですか。おれたちみたいな連中は、一冊の本に12シリング6ペンスもかけられませんって」
当時の12シリング6ペンスを現代の日本の感覚(訳者試算)に直すと、約3,750円ほど。確かに安くはありませんが、彼らは日帰り旅行には数ポンド(数万円)を平気で費やしていました。
オーウェルはこの矛盾に疑問を抱きます。「本は普通の人の手に届かない金のかかる趣味」という説は本当なのか? 彼は作家らしい執念で、自分の蔵書と支出の棚卸しを始めました。
オーウェルの徹底的な「棚卸し」とコスト計算
オーウェルが行った計算は、驚くほど緻密で正直なものでした。彼は自宅にある本を数え上げ、以下のように分類しました。
- 購入した本(大半は中古)
- もらいもの、またはクーポン購入
- 書評用および贈呈本
- 借りもの(返すつもりなし)
- 借りもの(返すつもりあり)
ここで面白いのが、「借りて返すつもりのない本」まで資産として計上している点です。彼は、本の貸し借りは相互に行われるため、長い目で見ればプラスマイナスゼロになると考え、自分が所有している未返却の本も「定価」で計算に含めました。一方で、書評用の本などは売却価値を考慮して半額で計上するなど、現実的な数字を追求しています。
その結果、彼が所有する約900冊の本(別の保管場所含む)にかかった費用は、15年間で165ポンド15シリング。これに新聞や雑誌の購読料などを加え、紛失した本のコストまで見積もった結果、彼の読書にかかる年間支出は「25ポンド」であると結論づけました。
これは現代の日本円感覚(訳者試算)で言えば、年間約15万円、月にならすと1万2,500円程度です。ビジネスパーソンが新聞を購読し、専門書や小説を月に数冊買うと考えれば、非常にリアルな数字ではないでしょうか。
タバコと酒 vs 読書:勝者はどちらか
では、この「年間25ポンド(約15万円)」は高いのでしょうか? オーウェルはこれを、当時のイギリス人の嗜好品であるタバコとビールと比較しました。
オーウェル自身の消費量で計算すると、タバコとビールだけで年間40ポンド以上、現代の感覚で年間24万円以上を使っていることが判明しました。これは読書費用の約1.6倍にあたります。
さらに彼は、国民全体の平均データも参照します。1938年当時のイギリス人は、酒とタバコに年間1人あたり約10ポンドを使っていました。しかし、これには子供や女性(当時は喫煙・飲酒率が低かった)も含まれるため、実際の愛好家だけで計算すれば、その額は跳ね上がります。
オーウェルはこう断言します。
「読書にかかる費用は、本を借りるのではなく購入し、かなりの数の定期刊行物を取っていた場合でも、喫煙と飲酒を合わせた費用を超えることはなさそうだ」
さらに「時間あたりのコスト」という観点も提示しています。
本を娯楽として捉えた場合、1冊の本を読むのに数時間かかります。購入価格を読書時間で割れば、映画館の席料よりも安く、図書館を利用すればほぼタダ同然です。
「読書というのは比較的安価な娯楽であると、これで十分に示せたのではないだろうか。たぶんラジオを聴くことの次に安い」
現代においても、飲み会1回分の費用(約5,000円と仮定)があれば、文庫本なら5〜6冊、ビジネス書なら2〜3冊は購入できます。その本から得られる知識や没入できる時間を考えれば、読書のコストパフォーマンス(ROI)は極めて高いと言わざるを得ません。
真の問題は「価格」ではなく「刺激」
コスト面での潔白が証明されたにもかかわらず、なぜ人々は本を読まないのでしょうか。オーウェルは最後に、痛烈かつ本質的な指摘を残しています。
「多くの人にとって、読書というのはドッグレースや映画、飲み歩きほど刺激的な趣味ではないのだ。べつに本の値段が高すぎるわけではない」
これは現代の私たちにこそ、深く刺さる言葉です。
1946年の「ドッグレースや映画」は、2024年の現在、「SNS、YouTube、Netflix、スマホゲーム」に置き換わっています。
私たちは「お金がないから本を読まない」のではありません。スマホから流れてくる絶え間ない通知、ショート動画のドーパミン、SNSでの承認欲求といった、より強く、より受動的な刺激(Stimulation)に負けているだけなのです。
現代における「可処分時間」の争奪戦
本書の訳者である蜷川豊氏はあとがきで、現代を「人類史上最も本を読みづらい時代」と表現しています。
「可処分時間、という言葉を聞いたことがあるだろうか。仕事や睡眠などを差し引いたときに個人が自由に使える時間のことで、SNSやゲーム、動画サイトなど、あらゆる産業がこれを奪い合っているのが現代という時代である」
かつては「お金」がハードルだと言い訳できましたが、サブスクリプションで音楽も映画も安価に楽しめる現代において、最大のボトルネックは「時間」と「集中力」です。
4時間かけて1冊の本を読む間に、スマホには何件の通知が来るでしょうか。その一つひとつが、私たちの集中力を細切れにし、深い思考や没入を妨げています。ビジネスパーソンにとって、読書をするということは、単に情報を得るだけでなく、「外部からのノイズを遮断し、自分の思考と向き合う時間を確保する」という、極めて能動的で贅沢な行為になりつつあるのです。
結論:自己投資としての読書を取り戻す
オーウェルの『本 vs 煙草』は、単なる費用の比較を超えて、私たちが何に価値を置き、何に時間を費やしているかを問い直すきっかけを与えてくれます。
もしあなたが「最近、本を読んでいないな」と感じているなら、それはお財布事情のせいではありません。無意識のうちに、スマホという名の「現代のドッグレース」に時間をベットしてしまっているからです。
「読書は、タバコや酒よりも安く、映画よりも長く楽しめ、そして間違いなくあなたの血肉となる」
この事実を再認識した上で、今日の帰り道、あるいは週末のひととき、スマホを鞄にしまって書店に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。1,000円〜2,000円程度の投資で、数時間の知的興奮と、一生モノの知識が得られる。これほど割の良い投資案件は、ビジネスの世界広しといえども、そうそうあるものではありません。






