養老孟司『読まない力』から学ぶ、情報に振り回されない思考法
本書『読まない力』は、解剖学者である養老孟司氏が、現代社会に蔓延する「言葉や情報への過信」に警鐘を鳴らし、 情報を鵜呑みにせず、物事の本質を自分の頭で考える力、すなわち「読まない力」の重要性を説いた一冊 です。
現代は意識が優先される「脳化社会」であり、私たちは日々大量の情報に晒されています。しかし、その情報の多くは「すでに済んでしまった過去」であり、人間という「生きて動いている」存在そのものではありません。
本書では、温暖化問題、政治家の失言、企業の不祥事といった具体的な時事問題を取り上げながら、メディアで「語られること」の裏にある「語られないこと」に目を向ける重要性を指摘。常識を疑い、単純な因果関係に飛びつかず、複雑な現実をありのままに捉えるための思考法を、養老氏独自の視点で鋭く、そしてユーモアを交えて解き明かしていきます。
忙しい日々の中で思考停止に陥りがちなビジネスパーソンにとって、情報とどう向き合い、いかにして本質を見抜くか、そのヒントが満載の一冊と言えるでしょう。
本書の要点
- 現代は言葉や情報を過信する「脳化社会」である。 私たちは意識や言葉がすべてであるかのように錯覚し、その危険性に無自覚である。
- 「読まない力」とは、情報を鵜呑みにせず、常識を疑う批判的思考力のこと。 安易に未来を予測したり、単純な善悪二元論に陥ったりせず、物事を多角的に捉える力を指す。
- 人間や社会は「情報」ではない。 いつまでも変わらない情報とは異なり、人間は常に変化し、死に向かう存在。この根本的な違いを認識することが重要である。
- メディアで「語られること」だけでなく「語られないこと」に本質が隠されている。 温暖化問題における石油ピークアウトのように、意図的に語られない情報の存在を常に意識する必要がある。
- 意識や論理だけでなく、身体感覚や自然とのつながりを取り戻すことが重要。 「ああすれば、こうなる」という単純な思考の限界を知り、複雑で予測不能な現実を受け入れる姿勢が求められる。
なぜ今、ビジネスパーソンに「読まない力」が必要なのか?
日々、膨大な情報に追われ、迅速な意思決定を求められるビジネスパーソン。私たちは、会議の資料、メール、ニュース、SNSなど、絶え間なく流れ込む「読むべきもの」に囲まれています。しかし、その情報を無批判に受け入れ、ただ処理するだけになってはいないでしょうか。
解剖学者であり、ベストセラー『バカの壁』の著者としても知られる養老孟司氏は、著書『読まない力』の中で、現代社会を 「意識優先、つまり脳化社会」 であり 「情報化社会」 であると喝破します。そして、そんな時代だからこそ、情報を鵜呑みにせず、自分の頭で考える 「読まない力」 が必要だと説くのです。
養老氏はまえがきでこう述べています。
本を読むと、考えなくなるというのである。古くはソクラテスもそういったらしい。当時は本はあまりなかったと思うが、ソクラテスは文字言語を信用していなかった。文字は批判的思考を鈍らせる。そう考えていた。
これは、本を読むこと自体を否定しているのではありません。書かれた言葉を絶対的なものとして信じ込み、自らの思考を停止させてしまうことへの警鐘です。この記事では、『読まない力』で語られる数々の示唆の中から、特に忙しいビジネスパーソンが明日から実践できる「思考のヒント」を、書籍中の具体的な事例と共に深掘りしていきます。
あなたも陥っている? 現代は「脳化社会」という罠
養老氏は、現代人が陥っている根本的な錯覚を「脳化社会」というキーワードで説明します。これは、 人間活動の中心が「意識」に偏りすぎている状態 を指します。そして、意識が扱えるのは「情報」だけです。
情報とは「時間が経っても変化しないもの」を指す。そんな定義は学校では教えてくれない。じつは私が勝手に定義した。でもそれで十分だと思っている。写真の自分は、いつまで経っても歳をとらない。情報だからである。
この定義は非常に鋭い指摘です。ビジネスの世界で私たちが扱うデータ、レポート、議事録などは、すべてこの「情報」に他なりません。それらは過去のある時点を切り取ったものであり、変化しません。
問題は、私たちが自分自身や生きている社会までをも「情報」のように捉えてしまうことです。
現代人は「私は私、同じ私」という。いつまで経っても、自分の本質は変化しない、というのである。それを個性などと呼んで、大切にしなきゃ、という。いつまで経っても変化しないものは情報で、だから『平家物語』は七百年以上経っているのに、「元のまま」である。それなら「同じ私」というのは、「情報としての私」ではないか。
私たちは歳をとり、経験を積み、日々変化しています。会社も市場も、刻一刻と動いています。しかし、意識の世界に閉じこもると、この「生きて動いている」現実が見えなくなりがちです。 固定化された過去のデータや成功体験という「情報」に固執し、変化に対応できなくなる のです。
さらに養老氏は、インターネットについても「『済んでしまったこと』しか、あそこには入っていない」と断言します。新しい情報を得ているつもりでも、それは常に過去の出来事。未来を予測し、新たな価値を創造するためには、情報の世界から一歩踏み出し、現実の複雑さや変化を肌で感じることが不可欠なのです。
「言葉」を疑う勇気 ― なぜ私たちは騙されるのか?
脳化社会において、情報伝達の主役となるのが「言葉」です。しかし、養老氏は現代人がいかに言葉を無防備に信用しているかを指摘します。
現代人がいかに「言葉を信用しているか」は、振り込め詐欺の流行を見ればわかる。口でいうのは、いってみればタダ、元手がいらない。元手がいらない商品なんて、さして信用が置けないでしょうが。
大臣や官僚が失言で職を追われるのも、人々が「言葉そのものの重み」を過剰に信じている証拠だと養老氏は言います。 ビジネスの現場でも、「言った、言わない」のトラブルや、巧みなプレゼンテーションに惑わされて本質を見誤るケースは後を絶ちません。
本書で紹介される、臨床心理学者・河合隼雄氏のエピソードは象徴的です。河合氏はまじめな顔で 「私はウソしかいいません」 と語っていたといいます。これは単なる冗談ではありません。
河合さんの真意は、言葉なんてその程度のものですよ、ということだったと私は思う。臨床心理の場で、ひたすら患者さんの話を聞いた人の言葉である。
言葉は、現実のすべてを表現できるわけではない。むしろ、現実を単純化し、時に歪めてしまう危険性を孕んでいます。私たちは、言葉の裏にある話し手の意図、その場の状況、そして語られていない文脈を読み解く必要があります。 言葉を鵜呑みにするのではなく、一つの「情報」として客観的に距離を置き、その信頼性を常に吟味する姿勢 こそが「読まない力」の第一歩なのです。
温暖化狂騒曲の裏側 ― 「語られないこと」に本質は隠されている
「読まない力」とは、目の前の情報だけでなく、 「何が語られていないか」 に意識を向ける力でもあります。養老氏は、その典型例として「温暖化問題」を挙げます。
2008年当時の温暖化狂騒曲のなか、NHKの討論番組を見ていた養老氏は、ある重要な論点が全く語られていないことに気づきます。それは 「石油問題」、特に「石油のピークアウト」 です。
石油は十年以内にピークアウトする。専門家はそういう意見のはずである。しかしそれは、これまで世間の表にほとんど出てきていない。むしろマスコミが扱わないというべきか。
CO2削減という「倫理」が声高に叫ばれる一方で、現代文明を支える石油資源そのものが枯渇に向かっているという不都合な真実は、なぜか大きくは語られない。養老氏は、これを 「ピークアウトに掛けた煙幕ではないか」 とさえ疑います。
さらに養老氏は、もっとも単純で効果的なはずの解決策が議論されない不思議を指摘します。
臭いにおいは、本もとから絶て。サミットでなぜそういわなかったのか。産油国はけっして多くない。(中略)たとえば今年を基準年として毎年一パーセント、石油供給を減らす。(中略)簡単じゃないですか。
このラディカルな提案は、私たちが普段いかに「消費者の節約」という末端の議論に終始しているかを気づかせてくれます。問題の 「本を絶つ」という視点 に立てば、全く違う解決策が見えてくるかもしれません。
これはビジネスにおける問題解決にも通じます。売上不振の原因を分析する際、現場の営業努力や個々の製品の欠点ばかりに目を向けていないでしょうか。市場構造の変化、競合の新たな戦略、あるいは自社のビジネスモデルそのものといった「語られていない」根本原因、すなわち「本もと」にこそ、本質的な解決の糸口が隠されているのかもしれません。
「常識」という名の思考停止 ― ホリエモン問題から学ぶメディア戦略
私たちは「常識」や「前例」に縛られ、思考停止に陥りがちです。養老氏は、2005年に世間を騒がせた「ホリエモン問題(ライブドアによるニッポン放送買収騒動)」を例に、この「常識」の危うさを指摘します。
当時、メディアはホリエモンこと堀江貴文氏の服装や言動を批判し、旧来の経営陣を擁護する論調が目立ちました。しかし、野次馬として見ていた養老氏は、全く違う視点から分析します。
テレビ会社なら、ホリエモン以上の人気タレントが記者会見にいくらでも使えるはずである。それは経営と関係ない。それが「常識」であろう。それならホリエモンに負けて当然である。だって、自分自体がメディアの会社なんですよ。それがメディア合戦で負けるということは、「本当に」負けたのである。
フジテレビは、経営問題という「常識」の土俵で戦おうとしました。しかし、実際の戦場はテレビや新聞という「メディア」そのものでした。そのメディア合戦において、話題性、発信力で堀江氏に完敗したのです。 「持ち株なんか関係ない。自分がプロであるはずの仕事で負けたことになるんだから。それなら乗っ取られたとしても当然であろう」 という養老氏の言葉は、物事の本質を鋭くえぐり出しています。
ビジネスの世界でも同様のことが言えます。競合他社と同じ土俵で、同じ指標を追いかけているだけでは、大きな変革は望めません。自分たちの本当の強みは何か、顧客にとっての本質的な価値は何か、そして、 本当に戦うべき場所はどこなのか 。常識を疑い、戦いのルールそのものを再定義する視点が、ブレークスルーを生み出すのです。
「ああすれば、こうなる」の限界 ― 子育てと自然から学ぶ複雑な世界
ビジネスパーソンは、論理的な思考と計画性を重視します。「ああすれば、こうなる」という明確な因果関係に基づき、戦略を立て、実行に移します。しかし、養老氏は、この思考法には限界があると指摘します。
「ああすれば、こうなる」。それが現代の支配的な思想である。それは、人間の意識が作り出した世界でしか通用しない。(中略)自然を相手にすると「ああすれば、こうなる」とは、人間の勝手読みだと知るのである。
そして、その「自然」の最たる例が「子ども」です。
子どもは自然である。意識的に設計したものではないからである。 (中略)大切に育てたって、どんなドラ息子になるか、それがわからない。そんなアテにならないもの、だれが生むか。そんなことをするくらいなら、「ああすれば、こうなる」ものを選ぶ。それが多くの大人の暗黙の合意となった。だから子育てではなく、金儲けに狂奔するのであろう。
これは少子化問題に対する、あまりに痛烈で、しかし本質的な指摘です。予測不能でコントロールできない「自然」な存在を、現代社会が受け入れられなくなっている。
この視点は、組織運営や人材育成にも応用できます。部下やチームは、計画通りに動く機械の部品ではありません。一人ひとりが感情を持ち、成長し、時に予測不能な行動をとる「生きた自然」です。マイクロマネジメントで全てをコントロールしようとするのではなく、 ある程度の裁量を与え、失敗を許容し、個々の自律的な成長を促す 。そんな「畑を耕す」ような視点が、長期的には強くしなやかな組織を育むのではないでしょうか。
「ああすれば、こうなる」という計画思考と、予測不能な現実に対応する柔軟さ。その両方のバランスを取ることの重要性を、本書は教えてくれます。
まとめ:情報という「壁」を乗り越え、自分の頭で歩き出すために
『読まない力』は、単なる速読術や情報収集術の本ではありません。むしろ、その逆です。情報との距離を置き、安易な答えに飛びつかず、面倒でも自分の頭で考え抜くことの大切さを説いています。
養老氏の言葉は、時に辛辣で、私たちの信じる「常識」を根底から揺さぶります。しかし、その言葉の根底には、変化し続ける不確かな世界を、それでもたくましく生きていこうとする人間への温かい眼差しがあります。
情報に振り回され、思考がショートしそうになった時。当たり前とされていることに違和感を覚えた時。ぜひ本書を手に取ってみてください。そこには、情報という名の「壁」を乗り越え、あなた自身の足で、あなた自身の人生を歩き出すための、力強いヒントが詰まっているはずです。