フローとストック思考:VUCA時代の変化を読み解き未来を予測する新フレームワーク『CAFSマトリックス』
本書『フローとストック 世界の先が読める「思考」と「知識」の法則』は、世の中のあらゆる事象を「フローとストック」および「具体と抽象」という二つの軸で捉え直すことで、変化のメカニズムを理解し、未来を予測するための新しい思考のフレームワーク「CAFSマトリックス」を提示する一冊です。日常の疑問からビジネス上の課題、社会の変化まで、このマトリックスを用いることで、これまで見えなかった構造的な法則性を読み解き、変化の本質に迫る視点を提供します。
本書の要点
- 世の中の事象の大半は、変化や動きを表す「フロー」とその結果蓄積された状態を表す「ストック」で説明できる。
- 人間の知的活動の根幹には、具体的な事象から本質を抜き出す「抽象化」と、抽象的な法則を具体的な事象に適用する「具体化」の往復運動がある。
- 「フローとストック」「具体と抽象」を組み合わせた「CAFSマトリックス」により、個人の思考から社会現象、歴史まで、様々な事象の変化のメカニズムを構造的に理解できる。
- 固定化された「ストック」は安定をもたらすが、時代の変化とともに「歪み」を生じさせ、それが次の変化(フロー)の原動力となる。
- このフレームワークを理解し活用することで、複雑な現代社会の変化を読み解き、未来を予測するヒントを得ることができる。
はじめに:なぜ世の中は複雑に見えるのか?
日々忙しく働くビジネスパーソンの皆さんは、次のような疑問を感じたことはないでしょうか?
- なぜ、良かれと思って作られたルールが、時に業務の足かせになるのか?
- なぜ、「常識にとらわれるな」と言われるのに、組織はなかなか変われないのか?
- なぜ、誰も望まないはずの対立や衝突が、いつの時代もなくならないのか?
- なぜ、昨日までの「当たり前」が、今日には通用しなくなるのか?
一見バラバラに見えるこれらの問いには、実は共通する構造的な法則が存在します。本書『フローとストック』は、その法則を解き明かすための強力な思考ツールを提供します。
その鍵となるのが、「フローとストック」そして「具体と抽象」という二つのシンプルな軸です。これらの概念を理解し、組み合わせることで、複雑に見える世の中の事象を驚くほどクリアに捉え、変化の本質を見抜く力を養うことができます。
第1章:「フローとストック」で世界を捉え直す
まず基本となるのが「フローとストック」の概念です。
フロー(Flow)とは、「流れ」や「変化」そのものを指します。水や人の流れのような目に見えるものから、お金や情報、時間の流れといった目に見えないものまで、動きやプロセスを表す動的な概念です。
一方、ストック(Stock)とは、「蓄積」や「状態」を指します。在庫、貯金残高、知識、経験、企業のブランド価値、社会のルールなど、フローの結果として積み上がり、ある時点での状態を示す静的な概念です。
例えば、お風呂にお湯をためる状況を考えてみましょう。
蛇口から流れ出るお湯が「フロー」、浴槽にたまったお湯が「ストック」です。フロー(流入量)がストック(水位)を変化させます。
これはビジネスにも応用できます。
- 日々の売上活動(フロー)が、企業の利益や資産(ストック)を形成します。
- 従業員の日々の業務経験(フロー)が、スキルやノウハウ(ストック)として蓄積されます。
- 毎期の売上(フロー評価)はボーナスに、長年のスキルや信用(ストック評価)は基本給に反映される傾向があります [cite: 1]。
重要なのは、フローがストックを生み出し、ストックが次のフローに影響を与えるという相互関係です。
「もつ」ことの意味:農耕社会への移行
人類史を振り返ると、狩猟採集社会から農耕社会への移行は、まさに生活様式が「フロー型」から「ストック型」へ変化した瞬間でした [cite: 1]。
- 狩猟採集:「その日暮らし」、獲物(フロー)を追い、「もたない」生活。
- 農耕:作物を育て備蓄(ストック)し、土地や道具を「もつ」生活。定住、長期視点、「所有」概念の発生。
この「所有」という概念が、富の蓄積、格差、そして争いなど、現代社会の様々な側面を生み出す根源となりました。
フロー型思考 vs ストック型思考
この「フローとストック」は、個人の思考様式にも当てはまります。
- フロー型思考:「イマ・ココ・コレ」を重視。最新情報や技術を活用し、過去の経緯やしがらみにとらわれず、変化に強く、即興的・合理的。思考力重視。
- ストック型思考:過去の経験や知識、伝統、ルール(蓄積されたストック)を重視。安定志向で、変化には慎重・固定的。知識・経験重視。
どちらが良い悪いではなく、状況によって強み・弱みが異なります。変化の激しい時代にはフロー型が、安定期にはストック型が力を発揮しやすい傾向があります。
ビジネスシーンで言えば、スタートアップはフロー型、歴史ある大企業はストック型に偏りがちですが、企業規模だけで判断するのは危険です。重要なのは、変化への対応力や企業カルチャーとしての「粘性」(変化への抵抗度)です [cite: 1]。
また、「ストック」は資産であると同時に、時代の変化によって負債にもなりうることを忘れてはなりません。過去の成功体験や古い常識(ストック)が、新しい変化への対応を阻む「抵抗勢力」となるケースは後を絶ちません。
第2章:「具体と抽象」思考の本質
もう一つの重要な軸が「具体と抽象」です。これは人間の「考える」という行為そのものの根幹に関わります。
具体(Concrete)とは、五感で感じられる個別の事象やモノを指します。一つひとつが異なり、ユニークな存在です。「リンゴ」「犬」「この会議」などが具体例です。
抽象(Abstract)とは、具体的なものから共通の性質や本質を抜き出し、「まとめて同じ」として扱う概念や考え方を指します。目に見えない、「数」「言葉」「お金」などが代表例です [cite: 1]。
例えば、「動物」という抽象的な言葉は、犬、猫、馬といった具体的な存在の共通点(生物である、動くなど)を抜き出して一般化したものです。
「考える」とは具体と抽象の往復運動
人間の思考は、具体的な事象から抽象的な法則を見出す(抽象化)プロセスと、抽象的な法則を具体的な事象に適用する(具体化)プロセスを絶えず往復しています。
- 抽象化:「見えない線を引く」こと
- 区別(グルーピング、カテゴリー化): 例:「食べ物」と「食べ物でないもの」を分ける。
- 関連づけ(因果関係、構造): 例:「努力すれば成果が出る」という関係性を見出す。
抽象化は、複雑な世界を単純化し、法則性を見出す強力な武器ですが、「レッテル貼り」や「偏見(認知バイアス)」といった弊害も生みます。事実は一つでも、どの側面を切り取るか(抽象化するか)で解釈は無数に存在しうるのです [cite: 1]。
- 具体化:「パッケージを開ける」こと
抽象化によって得られた知識や法則(パッケージ)を、個別の状況に合わせて適用し、実践に移すことです。一般的な理論を目の前の問題解決に活かすプロセスです。先人の知恵を流用できるのが具体化の強みです [cite: 1]。
第3章:「CAFSマトリックス」で世界を読み解く
本書の核心となるのが、「フローとストック」「具体と抽象」の二軸を組み合わせた「CAFSマトリックス」(キャフスマトリックス)です。
フロー(Flow) | ストック(Stock) | |
---|---|---|
抽象(Abstract) | フローとしての抽象 (FA) 仮説、アイデア、試行錯誤 | ストックとしての抽象 (SA) 法則、ルール、知識、常識、概念 |
具体(Concrete) | フローとしての具体 (FC) ありのままの事象、個別の現実 | ストックとしての具体 (SC) 解釈済みの現実、ルール適用後の事象 |
- FC(フローとしての具体): 解釈が入る前の「ありのまま」の現実。混沌とした個別の事象の世界。すべての出発点。
- FA(フローとしての抽象): 具体的な事象からパターンや法則性を見出そうとする思考プロセス。個人の頭の中にある仮説やアイデアの段階。一時的で流動的。「上向き」(具体→抽象)のベクトルが強い。
- SA(ストックとしての抽象): FAで生まれた仮説が検証され、定着・共有された知識、ルール、常識、言語、概念など。目に見えないが、社会や個人の思考を長期間支配する力を持つ。教育はこの普及活動ともいえる。「下向き」(抽象→具体)のベクトルが強い。
- SC(ストックとしての具体): SAというフィルター(解釈やルール)を通して認識・判断される現実。「常識」に基づいた行動や、「ルール」に従って運営される社会の状態など。「抽象つきの具体」。
「上向き」と「下向き」の発想
CAFSマトリックスの重要な点は、フロー側(左半分)が「上向き」(具体から抽象へ)のベクトルが強く、ストック側(右半分)が「下向き」(抽象から具体へ)のベクトルが強いことです [cite: 1]。
- フロー型(上向き)思考: 現実(具体)から出発し、新しい法則やアイデア(抽象)を生み出そうとする。ルールは目的達成の手段と捉える。
- ストック型(下向き)思考: 既存のルールや知識(抽象)から出発し、それに現実(具体)を当てはめようとする。ルールを守ること自体が目的化しやすい(手段の目的化)。
例えば、語学学習において、幼児は実践(具体)から自然に文法(抽象)を習得する「上向き」ですが、大人は文法(抽象)を学んでから会話(具体)に応用する「下向き」が中心となります [cite: 1]。
ビジネスにおける「業界」という捉え方や、固定化された予算・組織なども、「下向き」発想の典型です。新しい価値創造(イノベーション)のためには、既存の枠(ストックとしての抽象)にとらわれず、「上向き」の発想で現実を見つめ直すことが不可欠です。
第4章:「CAFSマトリックス」を回して未来を読む
CAFSマトリックスは静的な分類ではなく、時計回りのサイクルとして捉えることで、変化のダイナミクスを理解できます。
FC → FA → SA → SC → (歪み) → FC …
- FC → FA(抽象化): 現実の観察から、パターンや法則性の仮説が生まれる。
- FA → SA(ストック化): 仮説が検証・共有され、知識やルールとして定着する。最も重要な変化。
- SA → SC(具体化・適用): 定着したルールや知識が、現実世界で適用される。
- SC → FC(リセット): 時間経過や環境変化により、既存のルールや常識(SA)と現実(SC)の間に「歪み」が生じる。この歪みが限界に達すると、既存の枠組みがリセットされ、再び「ありのままの具体(FC)」から新しいサイクルが始まる。
このサイクルは、個人の学び(アンラーンと再学習)、知識の進化(科学革命)、組織の栄枯盛衰、イノベーションのプロセスなど、あらゆるレベルの事象に当てはまります。
「歪み」こそ変化の原動力
サイクルを駆動させるのは、「ストックとしての具体(SC)」に生じる「歪み」です。
- 静的な歪み: 抽象化(単純化)に伴う、現実との避けられないズレ。例:ルールによる線引き(年齢制限、所得制限など)で、本来救われるべき人が救われない。
- 動的な歪み: 時間経過や技術・環境の変化により、定着したルールや常識(SA)が現実(SC)に適合しなくなる。例:古い法律が現実に合わない、過去の成功体験が通用しない。
イノベーターとは、この「歪み」を敏感に察知し、それを解消するための新しい抽象(FA)を生み出す人たちです。しかし、既存のストック(SA)から恩恵を受けている層(エスタブリッシュメント)からの抵抗は避けられません。歴史上の多くの変革者が「異端」「迫害」されたのはこのためです。
変化は、既存のカテゴリー分類における「その他」から生まれることが多くあります [cite: 1]。新しい技術やビジネスモデルは、当初は既存の枠組みでは分類できず「その他」扱いされますが、やがて市民権を得て新しいカテゴリー(新しいSA)を形成していくのです。
デフォルトの転換
「歪み」が解消され、新しい常識(SA)が浸透する過程で「デフォルトの転換」が起こります [cite: 1]。
- 例:「打ち合わせ」→(コロナ禍後)→ オンライン会議がデフォルトに
- 例:「メール」→(普及後)→ 電子メールがデフォルトに
これは、社会の基盤となる「ストックとしての抽象」が入れ替わる瞬間であり、大きな変化の兆候です。生成AIの登場は、リアルとフェイクのデフォルトを転換させる可能性も秘めています。
終章:「CAFSマトリックス」のリアルな使い方
この思考法を身につけることで、私たちは何ができるでしょうか?
- 過去の事象を理解する: 歴史上の出来事や自身の経験をCAFSマトリックスに当てはめることで、その構造や変化のメカニズムを深く理解できます。なぜイノベーターは抵抗に遭うのか、なぜ組織は硬直化するのか、その理由が見えてきます。
- 現在の「歪み」を発見する: 特に「技術による世界の歪み」に注目しましょう [cite: 1]。テクノロジーの変化にルールや常識が追いついていない領域(例:生成AIと教育、自動運転と都市インフラ)に、新しいビジネスチャンスや課題解決の糸口が隠されています。
- 未来への仮説を立てる: 現状の歪みを分析することで、次に来る変化の波、新しい「ストックとしての抽象」がどのようなものになるか、自分なりの仮説(FA)を立て、検証していくことができます。
本書が提供するのは、完成された未来予測ではなく、未来を読み解くための「思考のOS」です。このOSをインストールし、日々の情報や経験に適用することで、変化の本質を見抜き、未来への羅針盤を得ることができるでしょう。
ジョン・レノンの『イマジン』は、「天国」「国家」「所有」といった「ストックとしての抽象」がない世界を想像してみよう、と歌います [cite: 1]。それはまさに、固定観念をリセットし、「フローとしての具体」から世界を見つめ直そうというメッセージであり、CAFSマトリックスが示す変革のプロセスそのものかもしれません。
変化の激しい時代だからこそ、「フローとストック」「具体と抽象」の視点を持ち、しなやかに思考し続けることが、未来を切り拓く鍵となるはずです。