ガウディの「本当の合理性」とは? サグラダ・ファミリアに学ぶ、100年続く仕事術とビジョン経営
『ガウディの伝言』は、サグラダ・ファミリアの専任彫刻家である外尾悦郎氏が、1978年からバルセロナで石を彫り続ける中で見出した、天才建築家アントニオ・ガウディの哲学と仕事術を解き明かす一冊です。
ガウディは単なる「狂気の造形家」ではなく、自然の秩序を徹底的に観察し、応用した「本当の合理主義者」でした。本書から、現代のビジネスパーソンが学ぶべき「計画(図面)」より「実践(模型)」を重んじる姿勢、現場の創造性を最大限に引き出すマネジメント術、そして100年後も色褪せないビジョンの描き方を紹介します。
本書の要点
- ガウディは二次元の「図面」を重視せず、三次元の「石膏模型」を使い、現場で職人たちと対話しながら建設を進めた。
- ガウディの言う「本当の合理性」とは効率至上主義ではなく、自然の秩序(物理法則や生態系)に従うことである。
- 「逆さ吊り実験」のように、自然の法則を「発見」し、それを建物の構造に活かす独創的な思考法を実践した。
- ガウディの建築は、機能(例:雨樋)、構造(例:補強)、象徴(例:亀の彫刻)が常に一体としてデザインされている。
- 「神はお急ぎになりません」という言葉に象徴される、壮大なビジョンと「明日はもっと良いものをつくろう」という日々の地道な改善努力。
サグラダ・ファミリアは「アジャイル開発」の最先端だった?
サグラダ・ファミリアについて、「ガウディが遺した図面はスペイン市民戦争で焼失した」という話は有名です。しかし、本書の著者である外尾悦郎氏は、「図面はどうしても必要なものだったんだろうか」と問いかけます。
なぜなら、ガウディ自身が図面を「役所に提出するために仕方なく描いた」程度にしか考えていなかった節があるからです。
ガウディは、「人間は二次元世界を、天使は三次元世界を動く」 という言葉を残しています。カサ・ミラのような自然の岩山を思わせる建物を、二次元の図面で正確に表現することの限界を彼は知っていました。図面に細かく描こうとすると、発想が二次元に縛られ、ダイナミズムが失われてしまうのです。
では、ガウディはどうしたのか?
彼は「模型」で考えました。
ガウディは、建物全体と各部の精巧な石膏模型をつくり、それを職人たちに見せました。職人たちは、10分の1の模型からプロポーションを読み取り、10倍にして石を彫っていきます。
重要なのはここからです。ガウディは、建設を進めながら、模型をどんどん修正していったのです。亡くなる直前まで、聖堂内の寝室に模型を置き、毎日少しずつ形を変えていきました。職人たちはそれを見て、ガウディの考えを理解し、建設を進める。
これは、現代のIT業界で主流となっている「アジャイル開発」や、製造業における「プロトタイピング」の手法そのものではないでしょうか。
完璧な仕様書(図面)を最初に作り込むウォーターフォール型ではなく、まずは動く試作品(模型)を作り、現場チーム(職人)と密に対話しながら、日々改善(模型の修正)を加えていく。
ガウディは、仕事を終えた職人たちに毎晩こう声をかけていたと言います。
「諸君、明日はもっと良いものをつくろう」
壮大なビジョンを持ちつつも、日々の地道な改善(カイゼン)を怠らない。この姿勢こそ、サグラダ・ファミリアという未曾有のプロジェクトを支える核心なのです。
なぜガウディの曲線は美しいのか?「本当の合理性」の追求
私たちは「合理性」と聞くと、効率化、コストカット、スピードアップといったことを連想しがちです。しかし、ガウディの合理性は、現代の効率至上主義とはまったく異なります。
ガウディが目指したのは、「本当の意味での合理的な精神」でした。それは、「自然の秩序に従うこと」です。
ガウディは弟子たちにこう語っています。
「人間は何も創造しない。ただ、発見するだけである。新しい作品のために自然の秩序を求める建築家は、神の創造に寄与する。故に独創とは、創造の起源に還ることである」
彼の独創的な造形は、すべて自然という「偉大な書物」から発見されたものでした。
事例1:逆さ吊り実験(重力の利用)
ガウディは、重力に逆らって高い建物を建てる(=戦う)のは非合理的だと考えました。そこで彼は、重力を「利用する」方法を模索します。
それが「逆さ吊り実験」です。糸に錘(おもり)を吊り下げると、重力によって最も自然で無駄のない形(カテナリー=懸垂曲線)が生まれます。ガウディは、この形を写真に撮り、逆さまにして、そのまま建物の構造デザインとしたのです。
コローニア・グエル教会やサグラダ・ファミリアの内部に見られる傾いた柱やアーチは、決して奇抜さを狙ったものではなく、重力という自然法則に従った、最も合理的で無駄のない構造なのです。
事例2:エコロジー建築(廃材の利用)
ガウディは、環境破壊やゴミ処理が問題になるずっと以前から、エコロジカルな建築を実践していました。
グエル公園の中央広場を彩るカラフルなベンチ。これは「トランカディス」と呼ばれる技法で、工場から出た不良品のタイルや食器の破片を集め、それらを貼り付けて模様を描いています。
ガウディは、廃材をゴミとして捨てるのではなく、あえてそれを活用することで、曲面の被覆という機能的な問題を解決し、同時に比類なき芸術作品を生み出しました。
自然からもらったものを無駄にしない。これもまた、自然の秩序に従うガウディの「合理性」の表れです。
現場の「小さな奇跡」を引き出すマネジメント術
ガウディの作品は、彼一人の才能で生み出されたものではありません。彼の構想を三次元で実現したのは、名もなき石工や鍛造職人たちでした。ガウディは、彼ら現場の力を最大限に引き出す天才でもありました。
ガウディは、職人たちに難しい図面を見せて「この通りにやれ」とは言いませんでした。それでは職人たちは義務感しか感じず、創造的な力は生まれないことを知っていたからです。
彼は模型(実物)を見せ、「石でこんなものをつくれないか」と提案します。美しい立体を目の前にした職人たちは、プロとしての意欲をかき立てられます。
「こんな見事なものをどうやってつくったんだろう?」と職人が悩んでいると、ガウディは「この点とこの点を結んで、こう彫ったらどうだ」とアドバイスを与えます。ガウディは職人たちに考えさせ、彼らが納得するまで根気強く説明しました。
ガウディが期待していたのは、職人たちが起こす「小さな奇跡」でした。一人一人の能力は特別でなくても、全員が本気で「より良いものをつくろう」としたときに湧いてくる力。それを結集させようとしたのです。
その象徴が、サグラダ・ファミリアの側壁にある「職人たちの紋章」です。ガウディは、測量器具や水瓶など職人たちの道具をあしらった紋章を、構造上最も重要な「要石(かなめいし)」の部分に彫るよう指示しました。
「この聖堂は職人たちの力に支えられている。同時に、職人たちはこの聖堂のおかげで能力を発揮できている。その関係を忘れてはならない」
これは、現代のリーダーシップやマネジメントにも通じる重要なメッセージです。現場を信頼し、彼らの主体性と創造性を引き出すこと。それこそが、一人の天才の能力をはるかに超える「小さな奇跡」を生む唯一の方法なのです。
「機能」と「ビジョン」を両立させるガウディの統合思考
あなたの会社では、「ビジョン(象徴)」と「日々の実務(機能)」が乖離してはいないでしょうか。ガウディの作品において、その二つは決して切り離されません。
ガウディの天才性の一端は、機能とデザイン(構造)と象徴を常に一つの問題として同時に解決している点にあります。
その最も分かりやすい例が、生誕の門にある「亀の彫刻」です。
この亀は、一体何を担っているのでしょうか。
- 象徴(ビジョン): 「サグラダ・ファミリアを亀のようにゆっくりとでも、休まずにつくり続けていこう」という大切なメッセージを伝えています。
- 構造(デザイン): 地に足を踏ん張るどっしりとした形が、真上にある巨大な柱を支える「台座」として完璧な強度を持っています。
- 機能(実務): この亀は、実は「雨樋」になっています。生誕の門に降った雨水が柱の中を通り、亀の口から吐き出される仕組みです。
ビジョン、デザイン、機能。この3つが、亀という一つの形で見事に統合されています。ガウディの頭脳の中では、これらは最初から一つの問題として捉えられていたのです。
優れたプロダクトやサービス、あるいは強い組織とは、このように「企業の理念(象徴)」と「デザイン(構造)」、そして「実用性(機能)」が美しく一体となっているものではないでしょうか。
100年後も続く仕事を残すために
サグラダ・ファミリアの建設が始まったのは1882年。施主は「聖ヨセフ帰依者協会」という、貧しいカトリック信者たちの団体でした。つまり、お金がなかったのです。
しかし、その「お金がなかった」ことこそが、ガウディに時間を与えました。寄付金がなければ工事は進まない。その間にガウディは、グエル公園やカサ・ミラといった他の傑作を手がけ、そこで得た技術とアイデアをすべてサグラダ・ファミリアに注ぎ込み、構想を深めていったのです。
「神はお急ぎになりません」
これは、ガウディが完成時期を尋ねられた際によく口にした言葉です。
ガウディは、目先の利益や効率、名声のためではなく、ただひたすらに「神(=自然の秩序)」が喜ぶもの、そして「人間を幸せにするもの」をつくろうとしました。そのために、晩年は私財をすべてサグラダ・ファミリアに捧げ、聖堂に住み込み、無一文に近い生活を送りました。
ガウディは、自らが完成させた内部空間「ロザリオの間」に、現代的な彫刻を残しています。それは、悪魔から爆弾を受け取ろうとする若者と、金貨袋で誘惑される少女の姿です。
これは「暴力(権力)への誘惑」と「お金への誘惑」を象徴しています。著者によれば、これはガウディが後世の建設者たちに残した「石の遺言」です。どんなに壮大なプロジェクトであっても、組織は常にこの二つの誘惑と戦わなければならない、という警鐘です。
私たちビジネスパーソンは、日々の効率や成果に追われがちです。しかし、ガウディが100年以上先を見据えて「本当の合理性」を追求したように、私たちもまた、自らの仕事が「人間を幸せにするものか」「自然の秩序に反していないか」と問い続ける必要があるのではないでしょうか。
『ガウディの伝言』は、時を超えて響く「本質的な仕事とは何か」という問いを、私たちに力強く投げかけています。







