星野リゾート式・フラット組織がもたらすサービス革新~独自の挑戦と事件から学ぶ成功のヒント~
星野リゾートは、伝統ある温泉旅館を現代的なリゾートとして再構築し、国内外で多彩な宿泊施設を運営する企業です。その成長の背景には、現場スタッフが考えて動くフラットな組織文化と、複数業務を担うマルチタスクの仕組みがありました。本記事では、実際に「事件」と呼ばれる現場のアクシデントや難題をどう乗り越えてきたかを紐解きながら、組織改革によるサービス革新と経営手法を探ります。都市観光型ブランド「OMO」や若者向けの「BEB」、冬季休業を乗り越えた「奥入瀬渓流ホテル」など、具体的なケーススタディを交え、星野リゾートの魅力と強さの真髄を明らかにしていきます。
はじめに
星野リゾートは長野県軽井沢町発祥の旅館・ホテル運営企業として、国内外で数多くの施設を手がけています。近年では高級旅館ブランドの「星のや」、温泉旅館の「界」、ファミリーや女性向けの「リゾナーレ」、都市観光型の「OMO」、若年層向けの「BEB」など、独自のブランド展開を行っています。
この企業の特徴は、単なる旅館やホテルの集合体を超えてフラットな組織文化とマルチタスクによる柔軟な働き方を取り入れている点にあります。上司や部下の関係よりも、「スタッフが自分の意見を自由に言える環境」を重視し、年齢や役職に関係なく新しい試みに挑戦する姿が魅力です。
星野リゾートでは、実際に起きたトラブルや苦境を「事件」と呼び、その解決策を通じて組織の学びを生かしてきた歴史があります。本記事では、それら事件のいくつかをたどりながら、フラット組織が生むサービス革新を見ていきます。
フラットな組織文化の意義
スタッフが動かす現場主導のサービス
星野リゾートが大切にしている理念の一つが、「言いたいことを、言いたい時に、言いたい人に言う文化をつくる」という考え方です。情報や経営データをスタッフ全員に共有し、上下関係を強く意識させるような形式的な役職を廃してフラットな環境を作り出すことで、現場が主役となる運営を実践しています。
例えば既存施設を引き継ぐとき、多くのスタッフは最初「トップダウンの命令」とのギャップに戸惑います。しかし、経営データが開示され、会議でも誰もが自由に意見を述べるうちに「自分で考え動く」意識が芽生え、サービスや企画の質がぐんと高まります。
このように「スタッフは経営に参画している」という実感が持てる環境が、顧客の視点に立ったサービスや新しいマーケティング施策につながるのです。
マルチタスクが生み出す協力体制
もう一つの特徴が、複数業務を兼任するマルチタスクです。フロント業務のスタッフが料理の一部を担当したり、ソムリエが街歩きのガイドをしたりと、現場で求められる仕事をそれぞれが積極的に兼任します。これによって部署間の壁は大幅に低くなり、どのスタッフも柔軟に動くことが可能となります。
ソムリエだったスタッフがガイド役に回り、地域の名店を顧客に紹介するというケースも珍しくありません。互いの苦労を理解し合いながら協力する体制が整うため、予想外のトラブルにもスピーディに対応できるメリットが生まれます。
事件簿から見る星野リゾートの組織力
1. OMO7旭川での“スクラム崩壊”と復活
都市観光の第一号ブランド
北海道旭川市にあるOMO7旭川は、星野リゾートが本格的に都市観光ホテルに進出する第一歩として位置づけられた施設です。それまでグランドホテルとして地元客の宴会や婚礼、ビジネス宿泊を担っていた建物を引き継ぎ、「都市を観光するホテル」に大胆にリブランディングしました。
レストランの方向性を“捨てる”覚悟
当初、レストランは「北海道らしい海鮮」や「地元向けメニュー」を中途半端に提供していましたが、宿泊客の利用率はわずか1割。スタッフ全員で議論を重ねた結果、「宿泊客には街に出てもらい、地域の有名店を楽しんでもらおう!」という極端な結論に至ります。
「宿の収益を捨てるような決断」を下すのはリスクも大きかったですが、結果的に旭川のディープな飲食店を巡るスタイルを整えたことで、ホテルと街の魅力を一体化。このコンセプトが当たり、OMO7旭川は「旅のテンションを上げる都市観光ホテル」として成功を収める道を切り開きました。
OMOレンジャーによる街歩き
ソムリエのベテランスタッフが赤いユニフォームを着て「お酒専門のガイド=赤レンジャー」になり、宿泊客を積極的に街へ案内するサービスが大きな話題を呼びました。これにより「ただ寝るだけの都会のホテル」ではなく、街そのものを楽しむ拠点へと変貌したのです。部門間の垣根を越えた協力体制が、思い切った戦略転換を支えました。
2. BEB5土浦が直面した“消えたビジネス客”
若年層向けブランドの挑戦
若年層をターゲットにした「BEB」は、「居酒屋以上 旅未満」をキャッチフレーズに2019年から始まった新ブランド。1号店のBEB5軽井沢で「ハプニングステイ」などユニークな施策がヒットし、順調な滑り出しを見せていました。
土浦ではビジネス客が消失
2号店として茨城県土浦市の駅ビルに開業したBEB5土浦は、ビジネス客7割を見込んでいたのに、コロナ禍で企業の出張中止が相次いだため想定が大崩れに。予約が集まらず、オープン直後から稼働率が1ケタ台にまで落ち込みました。
住み込みによるマーケット理解
マーケティング担当者が1カ月間、現地に住み込みで宿泊客や地元店舗、近隣の自転車ショップなどを調査。すると想定のビジネス客がいない代わりに、本格的なサイクリストや沿線住まいの若年層が利用している実態がわかりました。そこで「美ふくらはぎステイ」など、レーサーの筋トレを応援するサービスを展開。女子会向けには「29歳以下エコひいき×ホテルで楽しまナイト」というプランを立ち上げて、稼働率と顧客満足度を一気に回復させました。
これは「机上のデータだけではなく、現地を知ることで本質的な施策を生み出す」好例といえます。フラットな組織文化があったからこそ、住み込みや周辺取材など主体的な行動を起こせたのです。
3. 界箱根が遭遇した“寒すぎる絶景温泉”
半露天風呂が生む冬の悩み
神奈川県箱根町にある「界箱根」では、川に面した大浴場の洗い場が冬になると寒くて宿泊客から苦情が続出していました。そこで当初、壁やガラス戸を設置して完全に屋内化する改修案が浮上。しかしそれでは“絶景を楽しめる”魅力が失われる恐れがありました。
巨大なのれんで解決
代表の星野からヒントを得て、透明ビニールののれんによって洗い場を仕切り、湯気を閉じ込めて暖める方法をテスト。最終的には美しい型染を施した大きなのれんを取り付けることで、絶景と保温を両立させました。これにより冬の顧客満足度が一気に向上し、大掛かりな改修費用も抑制。浮いた予算を客室のアップグレードに回すなど、結果的に施設全体の魅力向上につなげました。
4. 軽井沢高原教会の“停電”騒動
結婚式直前のまさかの暗転
夏の繁忙期、歴史ある軽井沢高原教会で突然の停電が起こり、教会内の照明やオルガンが使えなくなる緊急事態に。最初のカップルは急きょ屋外に式場を移動し、2組目はキャンドルをともした暗い教会での挙式を選択しました。
フラット組織による即興対応
スタッフはあわてることなく、新郎新婦に「屋外」「キャンドル」「復旧待ち」など複数の案を提示。「新郎新婦が重視するものは何か」を確認しながら、キャンドルやハープなど代替策を用いて無事に挙式を実現させました。顧客目線に立った提案と一体感あるチームプレーが、想定外のトラブルをむしろ“特別な思い出”に変えたのです。
5. 情報システムグループが挑んだ“大浴場の混雑回避”
コロナ禍での三密対策
温泉旅館ブランド「界」を中心に、大浴場をどう三密回避するかが大きな課題に。下駄箱を監視カメラで映す案も浮上しましたが、プライバシー面などで課題が残りました。そこで自前でIoTセンサーとアプリを開発し、大浴場の人数をリアルタイム表示して顧客が好きなタイミングで安全に入浴できる仕組みを実装しました。
自社開発の強み
コロナ禍で外注先とのやりとりが制限される中、情報システム部門を内製化していた強みが生きました。スタッフが直接IoT機器を試作し、施設でリモート設置をサポート。稼働後も即座に改良が加えられ、顧客満足度と感染対策の両立を実現しています。
6. “ビュッフェ再開”へ挑むリゾナーレ熱海
コロナ禍での一斉ビュッフェ休止
政府から大皿取り分け形式のリスクが指摘され、星野リゾートはビュッフェを全施設で休止。しかし、「ビュッフェを再開してほしい」という声が顧客から数多く寄せられたため、ファミリー客が多いリゾナーレ熱海で大々的な実験に踏み切ります。
小さな工夫の積み重ね
アクリルカバーを料理ごとに取り付け、抗菌コーティングを施し、30分刻みの予約を15分刻みに再設計。「子どもにはすぐワンプレートを提供して落ち着かせる」施策など緻密な工夫を重ね、マニュアル化とスタッフの役割分担を徹底することでビュッフェが安全に再開できました。再開後は「やっぱりビュッフェがいい」と多くの顧客から好評を得て、稼働率の回復に大きく寄与しました。
7. 奥入瀬渓流ホテルの“冬期休業からの復活”
冬が閑散期になる宿命
紅葉の名所として知られる青森県の奥入瀬渓流ホテルは、かつて冬の利用がほとんどなく、毎年12月~4月に休業する状態でした。しかし「冬の奥入瀬には樹氷や氷瀑など特別な魅力がある」とのスタッフの声をもとに、綿密なプランづくりを進めて冬期営業再開を決断します。
樹氷&氷瀑ツアー
冬期ならではの観光素材を体系的に整備し、バスで樹氷や凍結した滝「氷瀑」を楽しむプログラムを設定。地元と連携したライトアップや安全管理を徹底し、オープン初年度から稼働率が8割に迫るほど好評を博しました。スタッフは冬に移動勤務をする必要がなくなり、ホテルの通年運営が可能となったのです。
8. ロテルド比叡の“滋賀か京都か”トレードオフ
京都を捨てて滋賀に集中
「ロテルド比叡」は京都・滋賀の府県境に位置していましたが、やや不便な立地のため「京都の宿が取れない人が仕方なく来る」状況に悩まされていました。そこで議論の末、あえて「京都を捨てて滋賀にこだわる」というトレードオフ戦略を選択。特徴ある発酵食品「鮒ずし」をフレンチコースに組み込むなど、滋賀ならではの食文化や観光を深堀りし、客単価を2倍以上に引き上げる成果を上げています。
組織文化が生むサービス革新のポイント
- 情報共有とフラットな組織
経営方針やデータをすべて公開し、上下関係よりも目的達成の議論を重視。スタッフが発想力を発揮しやすい環境をつくる。 - マルチタスクの導入
現場スタッフが複数業務を担当することで、壁が低くなり協力体制が深まる。既存の枠にとらわれない企画や、予想外のアクシデントにも柔軟に対応できる。 - 事件(トラブル)を成長の糧と考える
クレームやトラブルを「問題」ではなく「学習の機会」とみなし、スタッフ自身が解決策を導き出す。成功体験はチーム全体のモチベーションを高め、再発防止策をノウハウ化できる。 - トレードオフ思考で差別化
簡単に両立しない要素をあえて捨てることで、一気に個性を際立たせる。OMO7旭川で夕食レストランを廃止したり、ロテルド比叡で京都を捨てたりと、大胆な取捨選択によって唯一無二の体験を作り出す。 - ロジックよりも現場を知る行動
BEB5土浦の例のように、データだけでは捉えきれない実態を現場スタッフが足で稼ぐ形で調べることで、本質的な施策が見えてくる。
おわりに
星野リゾートの強みは、トップや経営者が単独で施策を決めるのではなく、スタッフの主体性と組織内の積極的な議論によって、新しいサービスや解決策を生み出せる点にあります。多角的なブランド展開や、各地の特性を生かした取り組みの奥には、フラットな組織を維持し続ける努力が常に存在するのです。
こうした組織文化は宿泊業やリゾート業界に限らず、幅広いビジネス領域で応用できる可能性を秘めています。トラブルを学びの機会と捉え、共通のゴールに向かってチーム全員が動き出す。これは変化の激しい時代にこそ有効なヒントではないでしょうか。
組織文化の見直しや新規事業の立ち上げ、あるいは働き方改革を模索する方々にとって、星野リゾートが実際に積み重ねてきた事件・事例は、最前線の“生きたケーススタディ”となるはずです。フラット組織だからこそ生まれた挑戦が、大きな成果をもたらす一連のストーリーから、サービス業の新時代を切り拓くエッセンスをぜひ学んでみてください。