伝記・小説
PR

予約の取れない料理人・笠原将弘が語る、家族との絆と人生のほろ苦さ~『賛否両論-料理人と家族-』より~

ヒガマツコ

本書は、人気日本料理店「賛否両論」店主である笠原将弘氏が、自身の半生を振り返り、亡き妻や両親との思い出、そして現在を共に生きる子どもたちや義姉への感謝の想いを綴ったエッセイです。料理人としての厳しい道のりの中で、常に笠原氏を支え、影響を与え続けてきた家族の存在。喜びも悲しみも、かけがえのない人たちと分かち合った日々が、飾らない言葉で語られます。そこには、忙しい毎日を送る私たちにとっても、家族の大切さや人生の機微について深く考えさせられるメッセージが込められています。本書に散りばめられた家族の思い出のレシピは、単なる料理の手順ではなく、愛情や記憶を繋ぐものとして描かれています。

created by Rinker
主婦の友社
¥1,760 (2025/06/15 04:19:30時点 Amazon調べ-詳細)

本書の要点

  • 人気料理人・笠原将弘氏が、亡き妻、両親、そして子どもたちとの愛と絆を赤裸々に語る。
  • 料理人としての成功の裏にあった、家族の支えと、避けられなかった悲しい別れ。
  • 「親父の教え」や「お袋の口ぐせ」など、笠原氏の人生哲学の根幹を成す家族からの言葉。
  • 忙しい日々の中でも、家族との時間、特に子どもたちとの思い出を大切にする笠原氏の父親としての一面。
  • 料理を通じて表現される愛情や思い出、そして人生のほろ苦さと温かさ。

まえがき~いつもどこか冷めている自分と家族への想い~

人気日本料理店「賛否両論」の店主、笠原将弘氏。彼は自身について、「いつもどこか冷めている」「常にもうひとりの自分がいて、彼が冷めている」と語ります。それは父親譲りの気質かもしれず、また「グイグイいく人」への憧れと苦手意識が同居する複雑な心境の表れでもあるようです。

そんな笠原氏が「うつくしい」と感じるものは、帰り道に見上げた夜空の星、正月に自宅から見えた富士山、浅草のサウナから眺めたスカイツリー、そしてたまたま入った居酒屋の端から端までビシッと揃った短冊メニューといった、日常のふとした光景。

料理人であり、三人の子どもの父親でもある笠原氏。しかし、両親と妻は既に他界しています。亡くなった家族の話をすることは、サービス精神旺盛な彼にとっても「つらい」こと。それでもインタビューでは答えてきたものの、積極的に話したいわけではない、むしろ誰かに勇気をもらいたい、と本音を吐露します。

「僕の人生は、大したことがないことだらけだ」と、もうひとりの自分が囁く。本書は、そんな笠原氏が、料理人として、一人の人間として、家族とどう向き合い、何を感じてきたのかを、飾らない言葉で綴った記録です。

第一章・第三章 妻・江理香さんとの出会い、結婚、そして永遠の別れ

一目惚れから始まった恋

笠原氏と妻・江理香さん(えーりー)との出会いは、氏が料理人としての修業を始めて4年が経った頃、働いていた日本料理店でした。ホールのアルバイト面接に来ていた江理香さんに、笠原氏は 一目惚れ します。「姿勢がよく、彫りの深い、力強い顔立ちだった。きれいな子だな、と思った」と。

沖縄出身でインテリアの専門学校に通うために上京していた江理香さん。奇遇にも、笠原氏の実家「とり将」がある武蔵小山の隣駅、西小山に住んでいました。当時、寮のトラブルで実家から通勤していた笠原氏は、帰り道が一緒になることも多く、時には待ち伏せして偶然を装ったこともあったとか。お互いお酒が好きで、仕事帰りに武蔵小山でよく飲みに行くようになり、自然と惹かれ合っていきます。

人生を変えたバスローブのプレゼント

付き合うきっかけは、江理香さんが欲しがっていたラルフローレンのバスローブを笠原氏がプレゼントしたこと。「なにぶんバスローブなので、こっそり持っていくにはちょっとでかかった」というエピソードも微笑ましいですが、このプレゼントが決め手となり、二人は交際をスタートさせます。

家で飲むことが多かった二人。笠原氏は、当時仕事で日本料理ばかり作っていた反動からイタリアンやフレンチに凝り、江理香さんのために様々な料理を振る舞いました。「何をつくって振る舞っても、彼女は『おいしい、おいしい』と幸せそうに食べてくれた」と言います。江理香さんは料理が苦手でしたが、笠原氏は全く気にしませんでした。「自分でできてしまうから」と。

「ピュアで、世間知らずで、とても芯の強い女性だった」 と笠原氏は江理香さんを評します。喧嘩もたくさんしたけれど、いつも折れるのは笠原氏の方だったそうです。

桜のころの決断、そして家族へ

ある日、江理香さんから妊娠を告げられます。「でかした! あー、じゃあ、もう結婚だ!」と、ロマンチックさには欠けるものの、喜びと覚悟に満ちたプロポーズ。親父に孫の顔を見せられる、彼女を一生守っていこうという気持ちに迷いはありませんでした。

父親への報告は緊張したものの、結婚式を挙げることの重要性を説かれ、親心に触れます。妊娠がわかったのは3月、江理香さんの誕生日も桜の咲き始める頃でした。そして1998年9月、二人は結婚。江理香さんのお腹には新しい命が宿っていました。

あたたかな冬、そして父になる喜び

結婚から3ヶ月後の一九九八年の冬、長女Lさんが沖縄で誕生します。「ぶじに生まれた」という連絡を受けた時、笠原氏は新宿の職場で仕事中でした。「うれしかった。こんな気持ちは初めてだ」。あまりの嬉しさに同僚や友人に連絡しまくり、朝まで飲み明かして仕事に遅刻、師匠にこっぴどく怒られたというエピソードも。一週間後に沖縄へ飛び、初めて我が子を抱いた時の感動はひとしおでした。「あら、かわいいなあ」。沖縄の冬は、いつも以上にあたたかかった と振り返ります。

家族の居場所と「賛否両論」の始まり

笠原氏は、自分が一人っ子で両親が共働きだった経験から、妻には専業主婦でいてほしい、子どもが帰ったら母親が迎えてくれる家庭を築きたいと考えていました。長女が一歳になった頃、父・賢氏が癌で亡くなり、笠原氏は28歳で「とり将」を継ぎます。不安もあったものの、江理香さんの「がんばって」という言葉に支えられ、店は繁盛。

そんな中、父の親友から「賢さんはおまえに武蔵小山のこの店じゃなくて、銀座や青山で店をやってほしいって言ってたぞ」という言葉を聞き、独立を決意。2004年、32歳で恵比寿に「賛否両論」をオープンします。この時も江理香さんは「がんばって」と心から応援してくれました。この頃、次女が生まれ、江理香さんのお腹には長男がいました。

夢の国からの試練、そして闘病

「賛否両論」のコース料金は、ディズニーランドの入場料と同じ設定。それは、日本料理をもっと身近にしたいという想いと同時に、江理香さんと子どもたちとの思い出が詰まった場所でもあったからです。

しかし、幸せな日々に突然、試練が訪れます。江理香さんに子宮頸がんが見つかったのです。手術は成功し、これで治ると信じていましたが、翌年の定期検診で再発。抗がん剤治療、入退院の繰り返し。笠原氏は「賛否両論」が多忙を極める時期で、江理香さんのそばにずっといてあげたい気持ちと、仕事を休めない現実との間で葛藤します。

「仕事なんて、別になくなってもいいじゃん。死んじゃったらもう生き返れないんだから」 と、当時の後悔を吐露する笠原氏。江理香さんが仕事を優先させてくれたからこそ今の自分がある、その恩返しのために働き続ける自分と、仕事を恨む自分がいると語ります。

永遠の別れ

江理香さんとの最後の時間は病院でした。がんは肺に転移し、声も出せなくなっていました。筆談での会話、病室に泊まり込んでの看病。子どもたちには最後まで病名を伝えませんでした。「ママ、がんで死んじゃうの?」なんて本人に言ってしまうかもしれない、悲しい思いをさせたくないという親心からでした。

長女が修学旅行中に江理香さんは息を引き取ります。そのことについて長女がどう思っているか、笠原氏にもまだ分かりません。「ドラマのように、いままでありがとう、というドラマチックな言葉なんてない。言葉もなく、えーりーは逝ってしまった」。2012年9月、江理香さんは39歳という若さで旅立ちました。

第二章 父・賢さん ~親父の教えと料理人の道~

厳しくも愛情深い「親父の教え」

「偉そうにすると、嫌われるぞ」「人間、謙虚に。他人と自分を比べるな」。笠原氏の父・賢さんは、明るい高倉健のような人で、これらの教えは笠原氏の生き方の軸となっています。常にどこか冷めている、もうひとりの自分がいると感じるのは、この親父の教えが影響しているのかもしれません。

賢さんは武蔵小山で焼き鳥店「とり将」を営み、笠原氏はこの店で育ちました。「大して注文もせずに長居をするようなお客さんは早く帰ればいいのに」「カウンター席に座って人に聞こえるような大声で話すもんじゃねえ」など、子どもの頃から聞かされてきた言葉は、知らず知らずのうちに笠原氏の価値観を形成していきました。

自由人だった親父と「寅さん」

賢さんは、明治生まれで元軍人の厳格な祖父を持つ笠原家の中では、唯一の自由人であり遊び人だったそうです。高校卒業後、料理人の道へ。柴又の和食店「川千家」で修業し、この経験が映画「男はつらいよ」の寅さん好きに繋がったと笠原氏は推測しています。

ある日、勤めていた店のオーナーが夜逃げ。職を失った賢さんに、祖父は「おまえ、もう店をやれ」と促し、武蔵小山に「とり将」を開店。店の名は、息子の「将弘」から一字を取りました。

孫の顔を見せたい、そして料理人の道へ

笠原氏は高校一年生の時にお袋(母・陽子さん)を癌で亡くしています。その後、賢さんと二人暮らし。江理香さんの妊娠を知った時、「親父に孫の顔を見せられる」と心から喜びました。

笠原氏が料理人になったのは、賢さんの存在が大きい。お袋が亡くなった後、賢さんが毎朝作ってくれた弁当は、店の余り物を詰めた茶色い弁当でしたが、それがまた美味しかったと言います。高校三年でパティシエを目指そうと考えた笠原氏に、賢さんは「日本料理だったら紹介できるぞ。どうせやるなら、厳しいところに行ってこい」と道を示しました。

「板前は、十年」父との約束と早すぎる別れ

「板前は、十年修業しないとだめだ」という賢さんの言葉通り、笠原氏は十年を目標に修業に励みます。いずれは「とり将」を継ぐことを考えていましたが、修業の道半ばで賢さんが病に倒れます。癌でした。手術、退院、そして再発。闘病生活は壮絶なものでした。「男が痛いなんて言うもんじゃねえ」が口癖だった賢さんが、最後は「痛い、痛い」と言い続けた姿は、笠原氏の心に深く刻まれています。

賢さんは52歳で他界。「なんで自分にこんなことが起きるんだろう」と、悲しみと憤りを感じたと笠原氏は振り返ります。父との「退院したら一緒に『とり将』をやろう」という約束は果たせませんでしたが、その想いを胸に、笠原氏は父の店を継ぐ決意を固めます。

第四章 妻の姉・みーひーさんの献身

江理香さんの姉、通称「みーひー」さんは、笠原家にとってなくてはならない存在です。江理香さんが闘病中から、そして亡くなった後も、笠原家の三人の子どもたちの母親代わりとして、身の回りの世話から精神的な支えまで、献身的に家族を支え続けてきました。

元々、江理香さんと東京で二人暮らしをしていたみーひーさん。江理香さんの結婚後も近くに住み、子育てを手伝っていました。江理香さんが癌と診断されると、介護休暇を取り、仕事を辞めてまで妹家族のサポートに尽力します。「仕事は、いつでもどこでもできますから。選ばなければ、職を」 という言葉に、その覚悟と深い愛情が滲み出ています。

子どもたちにとっては「みーひー」と慕われる存在であり、笠原氏にとっては「お姉さん」。江理香さん亡き後、笠原家の日常を守り、三人の子どもたちを育て上げたみーひーさんの存在は、計り知れないほど大きいものです。年に五回の家族の誕生日には必ず一緒に過ごし、子どもたちの成長を温かく見守っています。いつかは沖縄に帰ることを考えているみーひーさんですが、その深い愛情と献身は、笠原家にとって永遠の宝物でしょう。

第五章~第七章 子どもたちの視点~父・笠原将弘の素顔~

本書では、長女Lさん、次女・夕莉さん、長男・蕗維さん、それぞれの視点から見た父・笠原将弘氏の姿も描かれています。

長女Lさんは、父のことを「やさしい」と語ります。家にはほとんどいない忙しい父でしたが、たまにいる時はお弁当を作ってくれたり、送り出してくれたり。反抗期はなかったものの、門限を巡って口論した思い出も。母・江理香さんが亡くなった時、修学旅行中だったLさん。「リーダーである以上、絶対に行かなくてはいけない」という責任感からでしたが、その時の父の配慮や、母との思い出、そして今はおばさん(みーひーさん)への感謝を語ります。

次女・夕莉さんは、父と「仲がいい方だと思う」と言い、恵比寿の寿司屋で人生相談をすることも。将来はカフェを開きたいという夢を持ち、バリスタとして修業中。父のYouTubeチャンネルの成功に悔しさを感じつつも尊敬の念を抱いています。母・江理香さんが入院していた時、もっと会いに行けばよかったという後悔も。父に対しては「働きすぎて死ぬんじゃないかなって心配になる」と気遣いを見せつつも、「父親感」がなく、友だちのような先輩のような存在だと語ります。

長男・蕗維さんは、母・江理香さんの記憶は小学二年生までしかないと言います。父には叱られた記憶も。大学進学で九州へ行き一人暮らし。料理が好きで、特にペペロンチーノ作りにはまっているそう。父のことは「料理がうまいお父さんだ。それはちょっと自慢」と語り、高校三年間作ってくれたお弁当にも感謝しています。母が亡くなった時のことは鮮明に覚えており、「ママはなんで起きないんだろう?」と不思議だったと振り返ります。

三人の子どもたちにとって、父・笠原将弘氏は、尊敬する料理人であり、不在がちながらも愛情深い父親。そして、母・江理香さんの不在を埋めるように支えてくれるみーひーさんへの感謝の念も共通しています。それぞれの言葉からは、笠原家の温かい絆が伝わってきます。

第八章 母・陽子さん~お袋の口ぐせと愛情~

「つまんない男だねえ」「私だってやればできるのよ」。笠原氏の母・陽子さんは、明るく社交的で、息子には「男だったらモテないと」「色気がない男はダメ」と、独自の価値観を伝えてきました。これらの「お袋の口ぐせ」は、笠原氏にとって、がみがみ怒られるよりも効果的な教えだったと言います。

陽子さんは、夫・賢さんと共に「とり将」を切り盛りし、忙しい中でも息子の誕生日には必ずおでんを作ってくれました。それは陽子さんなりの愛情表現だったのかもしれません。また、笠原氏が中学生の頃に始めたお菓子作りを応援し、道具を揃えてくれたのも陽子さんでした。「褒めてくれるのがうれしくて、ケーキを焼いた」と笠原氏は振り返ります。

しかし、陽子さんは笠原氏が高校一年生の時に大腸癌で亡くなります。41歳という若さでした。病気のことを詳しく知らされなかった笠原氏は、もっと早く知っていれば、もっと一緒にいられたのに、と後悔の念を抱きます。最期、陽子さんは夫である賢さんの顔を愛おしそうに撫で回し、そこには夫婦だけの世界があったと、笠原氏は切なく語ります。

もしタイムマシンがあるなら、三人の子どもたちの顔を見せてあげたい、行きたいところに連れていってあげたい、料理も作って食べさせてあげたい。「将来あんたの息子はまあまあいい料理人になるんだよ」と伝えたい。笠原氏の母への想いは尽きません。

第九章 和食をひらく~料理人としての現在と未来、そして失いたくないもの~

両親と妻を失った笠原氏を支えたのは、家族以外では、同年代の料理人仲間、年齢もばらばらな野遊び仲間、そして武蔵小山の幼馴染たちでした。辛い時期も、人と会って飲んだりしゃべったりすることで気分を切り替えられたと言います。

料理がもっと上手になりたい、それが笠原氏の今の夢。鮨を握り、蕎麦を打ち、うなぎをさばきたい。「とり将」も復活させたいし、一人で切り盛りする高級店や、短冊メニューが美しい居酒屋、山奥の古民家レストランなど、やりたいことは尽きません。

「賛否両論」は20周年を迎え、多くの客に愛されていますが、予約が取れない状況はジレンマでもあります。YouTubeチャンネル「【賛否両論】笠原将弘の料理のほそ道」では、制限なく本当に食べたい和食を紹介できることに喜びを感じています。

笠原氏は、「親父の教え」を子どもたちや店のスタッフに伝え、「お袋の口ぐせ」のユーモアは次女に受け継がれていると感じています。過去に戻って家族の運命を変えたいと思うこともありますが、それが今の幸せな家族との出会いをなくしてしまう可能性を考えると、踏みとどまります。

「自分の子ども三人は、絶対に失いたくない」。それが笠原氏の偽らざる本心。

今、笠原氏が大切にしているのは、子どもたちと会える時間、一緒にいたいという気持ち。妻・江理香さんが亡くなった後に届いた腕時計を毎日つけ、「時間を大切に使わなければ」という想いを胸に、今日も「賛否両論」のカウンターに立ちます。江理香さんの存在は永久に変わらず、残された人生を少しでも幸せな気分でいたいと願っています。

あとがき~悲しみを乗り越えて、愛を胸に~

本書の執筆は、笠原氏にとって辛い作業だったと吐露されています。忘れていた悲しい記憶を呼び起こし、両親や妻が夢に出てくる日々。しかし、それと同時に、三人への深い愛情を再確認できたとも。

「他人と自分を比べるな」という父の教えを守りつつも、両親と旅行に行く友人を見れば羨ましく、母の日には子どもたちに母の日のお祝いをさせてあげられないことを申し訳なく思う。結婚記念日に食事に来る客を見て、自分に置き換えてしまう。その想いを一生抱えて生きていくのだろうと。

それでも、一度しかない人生で三人の素晴らしい人間に出会えたこと、そして今も彼らを愛せている自分に気づけたことは、大きな救いとなったようです。この本が、三人の短くも輝きに満ちた人生の記録になってくれれば、という願いで締めくくられています。

本書は、一人の料理人の半生を通じて、家族の愛の深さ、人生の喜びと悲しみ、そして困難を乗り越える力を静かに教えてくれます。忙しい日々を送るビジネスパーソンにとっても、ふと立ち止まり、大切な人との繋がりを改めて考えるきっかけとなる一冊でしょう。

本の魅力をみんなでシェアしよう!
ビジネス本のオプチャ

ビジネス書や自己啓発本に関する情報、学んだ知識や日々の気づきをみんなで共有するオープンチャットです。新しい視点やアイデアを取り入れながら、仕事やキャリアアップに活かせる学びを深めましょう。見るだけでも・初めての方でも大歓迎です!

気軽に参加ください!
ABOUT ME
ヒガマツコ
ヒガマツコ
管理人
地元・千葉県東松戸に住み、東松戸をこよなく愛するヒガマツコが運営するサイト「ヒガマツBooks」では、ビジネス書や自己啓発書を中心に書籍の要点を効率的に紹介しています。学生時代から読書に親しみ、短時間で要点をつかむスキルを磨いてきました。このブログでは、ビジネスや自己成長に役立つ本の重要なエッセンスを凝縮し、実践的なヒントや成功事例とともにわかりやすく解説。忙しい毎日でも効率よく学べるよう工夫した要約記事を日々更新しています。私のミッションは「本から得られる知識を通じて、より良い人生と成功をサポートすること」。趣味は飲食店巡りと運動で、新たな知識や視点を取り入れるのがモットー。今後は動画やSNSとも連携し、多くの方に読書の楽しさとビジネススキル向上の機会を届けるべく、日々新たな挑戦を続けています。
記事URLをコピーしました